5-3.教員の日常 Feed

2024年1月31日 (水)

寺田先生・河野先生の聖隷クリストファー大学のおすすめポイント

インタビューの最後に両先生に、聖隷クリストファー大学のおすすめポイントを解説していただきました。

河野:リスが見られるところ。野生のリスが見られるところはなかなかないですよ(笑)

寺田:鶯とか録音かと思うもんね。

寺田:同じ学年の人が多いのは、いいところですね。今は少人数の方がいいって話もありますけど、やっぱり150人いるといろんな人がいるから、新しい友達とか出会えるし、一生の友達にもなるから人が多いのはいいところと思います。当然学ぶ難しさはあるけど、楽しさもあるって今になれば思う。 

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河野:150人もいたらたしかに合わない子はいるけど、それは無理して合わす必要はないからね。学生としたら居心地はいいんじゃないかな。(150人いたら自分の親友になれる人もいますよね) 

寺田:実習病院が近いのは強みですよ。

河野:その病院に働いている先輩も卒業生だから、そこは強いと思いますよ。クリストファー大学の卒業生が指導しているので、伝えたいことは同じというか、やってきたことはあまり変わりませんもんね。別のところに行くと、またそこの教育・グループ・流れがあるので適応するのが大変かもしれない。

寺田:実習も安心、就職も安心。

河野:聖隷病院に就職してからは大学の教員も変わらないから、看護学生にどの先生教わったの?とかどこに実習行ったの?とか話しやすさはありましたよね。

河野:あと他学部との関わりですね。友達が他学部にいたので、他職種で仲良くなれるのは大きいと思います。大学生活で他職種の連携は常に意識していることはないかもしれないけど、就職した時に他職種に知り合いがいるっていうのはかなり影響ありますね。あ、同期。みたいな。

寺田:電話もしやすい。

河野:今でも、病院行って偶然出会うと「おお!」みたいに話しやすい。マンモス大学でもないし、他職種でも医療を目指すのは同じ学生集団なので、つながりを考えたときにはすごく大きいですよ。

 

 

寺田先生も河野先生も、私の教え子の世代になります。その学生たちが大学に戻ってきて、教育者・研究者として立派に責務を果たしている姿は、成長を感じずにはいられませんし、逆に自分はそんなに変わっていないな、気持ちなるのでした。

精神看護学領域 清水隆裕

2023年9月15日 (金)

看護学部教員インタビュー 成人看護学慢性看護学領域 河野先生編(2)

看護師になってからのエピソードを教えてください。

最初は、外科中心の病棟でしたね。そこでは新しいことを自分たちで作っていくことが必要な病棟状況だったので、楽しかったですね。ビシバシ来る感じではなく、あったかい雰囲気だったんですよ。指導者さんもすごく丁寧にしてくれて、同期もたくさんいて、お互いに成長していくって感じでした。でもやっぱり内科もやりたくて、内科に異動しました。次のところは、あったかいというよりは、しまってやる感じだったのでまた違う視点で成長しました。

 

その次に仕事をしながら大学院に進学したんですか?

大学院は病院を辞めて入りました。看護師の時に自分の担当の患者さんに対してうまく看護ができたのか分からなくて、その後また同じ人が再入院してきたりしていたんですね。Image1_2それに対して、自分の看護に対してもやもや感があったわけです。それを振り返る機会がなかったので、ちょっと一回勉強する機会がほしかった時に、仲良くしていた先輩が「ちゃんと看護師やってくなら大学院とかでておかないとね」みたいなことを言って、ああそうなんだ、って思ったんですね。大学院に入ってみたら印象が違って、座って講義を受ける教育だと思っていたら、全部自分がプレゼンテーションするんですね。びっくりしました。まず、プレゼンテーションの方法がわからない(笑)。でもいろんな学生がいたので、自分は「自分の病棟だけ」という狭い世界で生きてきたんだなと思いました。いろんな病院の人たちとも交流があって、こういう人もいるんだ、こういう考え方もあるんだ、みたいな発見は大きかったですね。50歳代などの自分よりずっと上の人がいたり、課長とか次長みたいな管理職の人がいたりですもんね。

 

教員になったのはどういう経緯ですか?

僕は教員になる気はなかったんですね。ただ大学院生のアルバイトとして実習のサポートをしていたんです。で、その時、大学の教員になってみない?ってその時の指導教授から誘われたのがきっかけですね。今でも学生と実習に行くと、「臨床は楽しそうだな」とは思いますけどね(笑)。ただ教員は看護師と違うのは、時間の使い方が自分である程度調整できるという強みはありますね。1年間でこれをやろうかなとか、5年後にはこうしようとか人生設計がしやすいのはありますね。その分それを実行する自分に課せられた責任は大きくなっていきますけど。

 

教員になってみて学生とのやり取りはどうですか?

実習指導の時は、僕も指導教員の顔になりますけど、それ以外は卒業生として後輩の学生は可愛いなとは思いますよ。SNSでどういう情報が回ってるのかはわかりませんけど(笑)。(人気あるでしょう。)いやあ、その辺はわからない。恐いですよ。おびえてますよ。あと、教員になってからは、看護学を意識して伝えてます。看護師のころは業務を伝えていたところもあって、今は何で看護師さんがそういうことをしているのか、考えているのか、ってところを伝えられるように頑張っています。

2023年7月24日 (月)

吉里心希が行く〜夢を叶える秘訣〜

吉里心希が助産師として育った地元、愛知県岡崎市 中根康浩市長と対談をさせていただきました。

中根市長は、国会議員をなされてみえました。

 

厚生労働省、経済産業省にかかわられ、経済産業省では街づくり・商店街・中小企業、

異業種のマッチング、当時は医工連携と言われ、医療と中小企業の持っている技術が医療に活かせるのではないかということにご尽力されました。

『厚生労働分野においては、医療は国策的なところがありますが、介護、障害福祉、子供、生活困窮など全部国がかかわりますが、法律など国が大きな方針を示して、自治体に対して、具体的に行う努力義務、責務とか、実働部隊として動くことが市町村の役割であるところがあります。

こういうところがあって、国を通してこのようなことにかかわっていることに対して、国でやっていたことを本当に手の届かない、痛いところ、かゆいところに手が届くようなことを自治体で自分でやりたいと思い、市長を志しました。』

様々な実に大きな決断をされることの責任もさることながら、常に笑顔を絶やさないお姿に大変感銘を受けました。私自身も岡崎市に就職し、大変お世話になった経験があり、中根市長に快くご縁をいただけましたこと、岡崎市の秘書課の皆様にも、心より感謝申し上げます。

 

「どうする家康」により、注目が集まる岡崎市。市庁舎の中も郷土の歴史を大変大切にしており、楽しく過ごすことができる工夫がなされていました、また、近代的で素敵なガラスのエレベーターにて市庁舎内をクリアに見渡せます。

ぜひ、皆さんも岡崎市に訪れていただけたらと思います。素晴らしい歴史の名所が大切にたくさん現存されています。人気のユーチューバーにも会えるかもしれませんね。 

 

聖隷クリストファー大学

看護学部学生広報 SSN チーム 顧問

吉里心希

(岡崎市長・秘書課ご確認・承諾の下、掲載)

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2023年7月 5日 (水)

看護学部教員インタビュー 成人看護学慢性看護学領域 河野先生編(1)

前回に引き続いて、成人看護学領域の男性教員にインタビューしました。慢性看護領域の河野先生です。河野先生と寺田先生は聖隷クリストファー大学の同級生です。( )はインタビュワーの発言です。

 

看護師になろうと決めたタイミングはいつだったのですか?

中学生の時ですね。僕の場合は父親が病気になって入院した経験があって、生活管理を母親が苦労しながらやっていたのを見て、病気があると家族はこんなに大変なんだと思って、「看護師」って思ったんですね。ちょうどその時〈2002年〉に看護婦が看護師になって、男でもなれるんだ、って気づいたのもあります。当然、家族を養っていけるのか?とか調べて興味持ったって感じです。(周りはびっくりしなかった?)周りの人はびっくりしましたよ。周りは看護師系の仕事はしていなかったので、「すごいね」とか「あなたにやれるの?」とかの反応はあったんですけど、反対されたということはなかったです。

僕は浜松出身じゃないんですけど、親族の仕事の関係上このあたりにはよく来ていたので、自然もあるし、実習施設も近いし、いいんじゃない?って話になって、聖隷クリストファー大学に来ました。

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引っ越してきて聖隷クリストファー大学がある三方原はどう感じましたか?

浜松は都会と思ってきたら、土地が赤いし、牛の臭いがするしびっくりしましたね。すぐ慣れましたけど。あとは「うちっち」という方言が伝わらないことにびっくりしました。私の地元の焼津では、自分の家のことを言うときだけでなく、自分たちの集団を示すときにも「うちっち」と言っていたんですけど、それが浜松の友達には一切伝わらなかったことにびっくりしました。

 

大学に入って女性の多さはどう感じましたか?

僕はそんなに女性苦手じゃなかったので、最初から割りと仲良くできたかな。しばらくしてグループができて週一回遊んだりとか、動物園行ったりとか、のんほいパーク行ったりとか、授業の空き時間に動物園行って帰ってくるとか。(いい青春してるね)。でも僕、大学3年生くらいまであまり人と遊ばなかったんですよ。サークルとかやってないし、文化祭とか行ったことなかった。友人関係は寺田先生のほうが多かったですよ。限られた人たちと遊ぶみたいな。4年生とかになって、寺田先生に「今じゃなきゃ遊べないよ」って言われて「はっ」として、遊びに行くようになりました。僕は、看護学実習は苦痛じゃなく、実習中の合間にどう遊ぶかっていうことを考えるようにしていました。同級生が100人くらいみんなが集まって、みんなで飲み会とか、スノボー行くとかしてくれて、そういう友達がいてくれたので盛り上がりはあったと思います。

 

大学生活できつかった思い出はありますか?

きつかった、苦しかったことはないんですよ。3年の実習からも、「初めまして」の新しい同級生と知り合いながらやっていけるのが楽しかったので、それはそれで楽しかったですよ。患者さん、教員にも恵まれて辛かったことはなかったですね。(きつかったことがない!?という人もいるんですねえ)

 

私(清水)は、対人関係が苦手なので看護演習もきつかったし、実習もきつかった。ただ、いつも通りのメンバーで、いつも通りに学び・語り・遊びに行くことはとても楽しい4年間で、やっぱり総じて楽しい4年間でしたね。いまでも大学生活の思い出が夢に出てきます。

 

                             精神看護学 清水隆裕

2023年6月 2日 (金)

看護学部教員インタビュー 成人看護学急性期看護学領域 寺田先生編(2)

看護師という仕事は楽しかったですか?

僕は看護師の仕事は楽しかったですね。隣の聖隷三方原病院に就職しました。外科志望で、結局消化器外科と心臓血管外科に配属されたんですけど、患者さんが良くなっていくというとこが見られたので、「結果が得られる」というところが自分に合ってましたね。あとは、現実的に給料を自分で稼ぐということがモチベーションになっていましたね。

 

教員になってイメージと違ったことはありますか?

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何かを伝えさせてもらう立場は、責任ありますよね。看護師の時に感覚的にやってきたことがあったとしても、それを意味付けして言語化して伝えなければいけないのは、ずっと悩んでます。あと教員になって、看護援助っていうのは研究の積み重ねで出来上がってきたものだっていうのは実感できました。なんとなくやっていたことでも、ちゃんと根拠と意味があるということに気付けたのは良かったです。意外だったのは、研究って大変だなって(笑)。

 

30代になって、今の学生と何か違いを感じますか?

SNSとかコロナウイルスとか時代背景は違いますけど、話してて仲良くなるの難しいですね、もうおじさんですから(笑)、ちょっと壁感じるようになりました。

 

最後に中高生に向けてメッセージをお願いします。

今、コロナなどで制限がありますけど、いろんな遊び、経験をしておくといいかなって思います。人間関係って大切だと思いますし、対人関係が難しいと看護師として働くのも難しくなってしまうので、いろんな人と交流して楽しむということを体験してほしいと思います。自分の好きなこと、もちろんゲームでもありだと思うし、チャットとかでもいろんな人とコミュニケーション取れるのがいいかなと思います。(ありがとうございました。ではまた、第2弾もあるかもしれません。)好評だったらですね。

2023年5月18日 (木)

看護学部教員インタビュー 成人看護学急性期看護学領域 寺田先生編(1)

中高生のみなさんは、大学教員・看護学部教員にどのようなイメージを持っていますか。全然想像のつかないような人たちに感じるかもしれませんね。当然、教員によって個性はさまざまですが、まず教員集団の中で比較的若い教員に、どのような経緯で看護をめざしたのか?はたまたどのような学生生活を送っていたのか?偽りなく語っていただこうとインタビューしてきました。最初は、成人看護学領域の男性教員寺田先生です。

( )はインタビュワーの発言です

 

男性看護師はイメージとして珍しいですけど、将来看護師になろうと決めた時はいつですか?

中学生3年の時ですかね。親族に看護師さんがいて高校の進学時には看護師になろうかなって決めていました。その時、ナースマンっていうテレビがちょうどやってて、「かっこいい」って思って、選択としてありかなあって思ったのがきっかけです。

(家族は驚かなかった?)

家族は、親族が看護師をやっていたのもあって、あんまり驚かなかったですね。看護師は失業しないイメージもあるので安心というか、「いい仕事なんじゃない」って言ってくれてました。

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大学に入って女性の多さはどう感じましたか?

僕の通っていた高校も女性が多くいたところだったんで、そこまで居づらさはなかったですね。女性の友達は‥人並みですかね。


大学生活の中心は何でしたか?

勉強は中心ですけど、留年しないことは特に気を付けていました。大学が終われば、僕は自宅が遠かったので、月曜日から金曜日までリュックしょって友達の家を転々としていました。それで、ゲームしたりお酒飲んだりですね。その時は、PSPというゲーム機でモンスターハンターをずっとやっていた世代です。最初はゲームでしたけど、大学の後半はお酒を飲んで友達と語るのが多かったです。

 

聖隷クリストファー大学での生活は楽しかったですか?

僕はずっと楽しかったですね。僕は高校までサッカーを一生懸命やっていて、遊びってしなかったんですね。でも大学はいって、勉強はもちろんですけど音楽やったりとかスポーツやったりとか。友達と色んなことして遊ぶのって楽しいなって思った時期でした。それが4年間続いたんで楽しかったですね。看護学実習とか厳しいイメージありますけど、一人で実習行くことはないんです。グループで行くので実習中は仲間同士助け合うんですね。なので、乗り切れないということはなくて、いろんなことを学ぶ機会って思っていました。でも、一番つらかったのも実習ですけどね(笑)。その時は、とにかく何していいかわかんなくてすごく難しく感じたし、看護師さんのアドバイスもなかなか理解できないし、それが解りだした頃に実習が終わったんで、すごく記憶に残ってますね。でも、その時の経験は今の自分を作った貴重な体験になってますよ。辛かった中でも、出会った看護師さんの優しさや指導に救われていましたね。

 

思った以上に活動的な学生生活を送っていた寺田先生。

第2回に続きます。

2022年4月28日 (木)

季節の手しごと

4月から新しい土地での生活をスタートさせた方は少し慣れてきた頃ではないでしょうか。助産学専攻科は1年間の修業期間のためタイトなスケジュールですが、キャンパス周辺の四季も思い出にしてもらえることを願います。COVID-19の影響で公私ともにICT化は加速したものの、おうち時間の楽しみは無かったなあ(個人的意見)。ワタクシ達(敢えて“達”)は職業柄、毎日通勤し対応に追われてきました。

COVID-19に関係なく、浜松に移り住んでから梅シロップを手作りしています。これから梅が出回る季節なので作り方をご紹介します。画像は2年前ですが、5月に青梅を漬けました。熟した梅で作れば濃厚な味に仕上げるのでお好みで。下準備は①傷の無いものを選別し洗う。②キッチンペーパーで水分を軽く拭き取り、乾かす。液に漬けるからと言ってそのままはカビの原因になるそうです。③軸を取り除く。少し面倒なので時間の余裕をみて一気に!④ビンを煮沸消毒し、冷めたら梅・氷砂糖をミルフィーユ状に交互に重ね入れる。レシピはいろいろあり、防カビ目的で梅を凍らせてから漬ける方法もあるようです。私は最後に酢を注ぎます。防腐とサッパリ味にしたいから。⑤涼しい暗所に置き、毎日1回、「美味しくなーれ」と愛情込めて💛ビンをクルクル回し、梅の位置を移動させる。濡れたまま液面から出た状態が続くとカビ発生しやすいそうです。

<4日後>
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<さらに10日後>

梅から果汁が出て水分量が増えました。ビンの底にはまだ氷砂糖が残っています。溶けきれるのか、気になるところですが、大丈夫。

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<さらに2週間後の6月(漬け始めから約4週間)>

透明になってきました。梅が完全に浮いたら取り出すタイミング。取り出した梅は水分が抜けて果肉が無く、硬いので食べることはできません。

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完成!! 🙌(写真は全て筆者撮影)

MENU梅ジュース🍹は水または炭酸やお湯で希釈。かき氷のシロップは原液で。

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以前、浜松で無農薬栽培の麦わらストローを見つけて購入。環境にやさしく、自分専用なら洗って繰り返し使えます。先が割れたらハサミでカットすればO.K。麦わら栽培復活のウンチクを家族に話しました。「第二次世界大戦前はストローと言ったらプラスティックではなく、麦わらとか細い竹だったから、驚かない。」と言われて拍子抜け。「こういうのを作るようになったとは。年をとったね。」の言葉に“そういうことかもなあ”と妙に納得したワタクシでした。その時、その土地で経験できる暮らし、佳き人やモノとの豊かな出会いを大切にしたいと思います。

助産学専攻科 稲垣恵子

 

2020年5月11日 (月)

大学のスクールバス発着場の駐車場が広くなりました

5月の連休が終わりました。只今、遠隔授業を継続中です。ICTに弱いところがありますが、学生の皆さんに学びが伝わるように取り組みます。

 

今回、スクールバスで登校する経路のひとつを紹介します。

Image1大学のスクールバスです。実は、春休み中に隣接する駐車場が広くなりました。スクールバスで登校している学生さん、ちょっと驚くのではないでしょうか。

 Image2駐車場から見える小・中・高等学校です。

Image3駐車場から右折すると大学への通学路になります。

 

Image4道路では、横に広がらないで歩きましょう(学生サービスセンター作成のポスター転載)。

この可愛いお知らせポスターは、学生の皆さんが学校に登校することがあってこそ活躍するのだと感じます。

学内の学生掲示板のポスターを見ながら、皆さんの登校が早くはじまって大学に活気があふれてほしいと思っています。

 

Image5右まわり、左まわり、どちらかの道を歩いて本学構内の講義棟に到着します。

看護学部の皆さんと元気にお会いすることを楽しみにしています。

(ポスターの使用については許可を得て掲載しています)

                   文責 小児看護学 市江和子

2020年5月 1日 (金)

新入生の皆さんにお渡しする予定だった小枝が元気です

5月の初夏になりました。新緑がより色濃くなってきています。新入生の皆さんにお渡しする予定だった花束の小枝が元気で、研究室に飾っていますのでお伝えします。

 

4月13日から遠隔授業が開始になっています。学生の皆さん、授業になれましたか。

ICTについて一生懸命、操作習得をめざして取り組んでいます。早く対面授業があるとよいですね。

 

今回、バイクで登校する経路のひとつを紹介します。

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大学のバイク専用駐輪場です。

Image2規則にそって、並べましょう。

 

Image35号館、3号館、2号館、1号館へ登校する道のひとつです。

Image42号館の横になります。

Image5_14毎日水の取り替えをして、元気な小枝をずっと飾っています。

看護学部の皆さんと元気にお会いすることを楽しみにしています。

文責 小児看護学 市江和子

 

2020年4月24日 (金)

大学から富士山が展望できます。

4月の末になりました。5月からは登校ができ、対面授業があるとよいですね。

 

4月23日(木)、小児看護学領域は2時限目が2年次生対象の小児看護学概論、4時限目が3年次生対象の小児看護援助論Ⅱの遠隔授業でした。パワーポイントの若干の不都合、14時22分ごろに地震がありましたが、無事に終了しました。

可能な限り、遠隔授業のスキルアップをしていきたいと思います。

 

晴れた日は、大学から富士山が見えるので、眺望をお伝えします。

今回、自転車で登校する経路のひとつを紹介します。

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大学の中央部分にある自転車専用駐輪場です。(奥側)

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つつじが見事に咲きだしました。

Image33号館、2号館、1号館へ登校する道です。

Image41号館7階からの展望です。

Image52020年4月22日(水)は稜線に雲が少なく、冠雪の富士山が綺麗に展望できました。

真夏のころに日本平のロビーで、「前に見える山は何ですか」と尋ねたところ、「手前に見えますのが、富士山でございます」と説明いただいた体験があります。

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近づきすぎて、分からないものがあります。

 

看護学部の皆さんと元気にお会いすることを楽しみにしています。

文責 小児看護学 市江和子