看護学部教員インタビュー 成人看護学慢性看護学領域 河野先生編(1)
前回に引き続いて、成人看護学領域の男性教員にインタビューしました。慢性看護領域の河野先生です。河野先生と寺田先生は聖隷クリストファー大学の同級生です。( )はインタビュワーの発言です。
看護師になろうと決めたタイミングはいつだったのですか?
中学生の時ですね。僕の場合は父親が病気になって入院した経験があって、生活管理を母親が苦労しながらやっていたのを見て、病気があると家族はこんなに大変なんだと思って、「看護師」って思ったんですね。ちょうどその時〈2002年〉に看護婦が看護師になって、男でもなれるんだ、って気づいたのもあります。当然、家族を養っていけるのか?とか調べて興味持ったって感じです。(周りはびっくりしなかった?)周りの人はびっくりしましたよ。周りは看護師系の仕事はしていなかったので、「すごいね」とか「あなたにやれるの?」とかの反応はあったんですけど、反対されたということはなかったです。
僕は浜松出身じゃないんですけど、親族の仕事の関係上このあたりにはよく来ていたので、自然もあるし、実習施設も近いし、いいんじゃない?って話になって、聖隷クリストファー大学に来ました。
引っ越してきて聖隷クリストファー大学がある三方原はどう感じましたか?
浜松は都会と思ってきたら、土地が赤いし、牛の臭いがするしびっくりしましたね。すぐ慣れましたけど。あとは「うちっち」という方言が伝わらないことにびっくりしました。私の地元の焼津では、自分の家のことを言うときだけでなく、自分たちの集団を示すときにも「うちっち」と言っていたんですけど、それが浜松の友達には一切伝わらなかったことにびっくりしました。
大学に入って女性の多さはどう感じましたか?
僕はそんなに女性苦手じゃなかったので、最初から割りと仲良くできたかな。しばらくしてグループができて週一回遊んだりとか、動物園行ったりとか、のんほいパーク行ったりとか、授業の空き時間に動物園行って帰ってくるとか。(いい青春してるね)。でも僕、大学3年生くらいまであまり人と遊ばなかったんですよ。サークルとかやってないし、文化祭とか行ったことなかった。友人関係は寺田先生のほうが多かったですよ。限られた人たちと遊ぶみたいな。4年生とかになって、寺田先生に「今じゃなきゃ遊べないよ」って言われて「はっ」として、遊びに行くようになりました。僕は、看護学実習は苦痛じゃなく、実習中の合間にどう遊ぶかっていうことを考えるようにしていました。同級生が100人くらいみんなが集まって、みんなで飲み会とか、スノボー行くとかしてくれて、そういう友達がいてくれたので盛り上がりはあったと思います。
大学生活できつかった思い出はありますか?
きつかった、苦しかったことはないんですよ。3年の実習からも、「初めまして」の新しい同級生と知り合いながらやっていけるのが楽しかったので、それはそれで楽しかったですよ。患者さん、教員にも恵まれて辛かったことはなかったですね。(きつかったことがない!?という人もいるんですねえ)
私(清水)は、対人関係が苦手なので看護演習もきつかったし、実習もきつかった。ただ、いつも通りのメンバーで、いつも通りに学び・語り・遊びに行くことはとても楽しい4年間で、やっぱり総じて楽しい4年間でしたね。いまでも大学生活の思い出が夢に出てきます。
精神看護学 清水隆裕