精神看護学実習の学内演習:教員とのセッション
精神看護とは、疲れた・もしくは病になったこころを癒すという技術、テクニックを想像しがちです。しかし、その根本にあるのは同じ人間としての人格的交流です。聖隷クリストファー大学の精神看護学領域では、学生にその点を大切に伝えています。下の図でいえば、階段を上りテクニックを習得した立派な看護師を目指すのではなく、階段を下りて同じ人間として出会える場をめざすのです。この「私も、病人も同じ弱さを抱えた人間だ(同じ人間)」という感覚が育っていないと、ただのケア者が病人に与えるテクニックの押し付けになってしまいます。
学生のうちは、教員を専門的な科学的知識を持った強者として体験しやすいです。その教員(強者)-学生(弱者)関係ですが、その感覚のまま実習に出るとケア者(強者)-病人(弱者)として再現されやすくなります。そのため精神看護学実習では、たとえ教員であっても学生と同じ人間だよというメッセージを込めて屈託のない意見交換をします。その中で、学生は次のような質問を教員にします
「なんで教員になったんですか?」「看護師で働いたときの一番の失敗を聞かせてください」「趣味は何ですか?」「家庭円満の秘訣を教えてください」などです。
教員は、人間として取り繕うことなく、一つ一つ答えていきます。
すると学生は「先生ってのはもっと偉い人だと思っていました」とか「もっと勉強ばっかりしてきた人かと思っていました」と語るようになり、教員=強者だ、という幻想から少しずつ解放されます。その時、「私も教員もただの弱さを抱えた人間だ」という感覚の醸成、すなわち、同じ弱さを抱えた人間と出会うために階段を下りる体験を養っているのです。
この感覚、体験をしっかり養っておくと、実習に出たときに「患者さんを救わなくてはならない」という考えから、「同じ人間としてまず共にいる」という自然体の行動がとれるようになっていきます。
精神看護学 清水隆裕