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2021年7月 8日 (木)

聖隷クリストファー大学の精神について問いかけます 2 聖隷クリストファー大学看護学部に入ったときのゴールはどこですか? -看護は目的か?愛の手段か?-

みなさんこんにちは。みなさんが高校生の場合、このブログをご覧になっている、ということは将来的には看護学部や看護専門学校を視野に入れているのかと思われます。

さて我が聖隷クリストファー大学ができた当時は、日本で本学含め看護学部は12しかありませんでした。それが今や270を超えています。専門学校を入れたらもっと多いですよね。

それでは、今270もある看護学部と本学部では何が違うのでしょうか。本学の看護学部に入ったときの最終目的地はどこなのでしょうか?前回のブログ記事では、ケア者としての成長プロセスを挙げて「苦しみながらも自分の弱さを自覚し、受け入れて階段を下りていく作業を「愛」と言う」と説明しました。

それでは聖隷クリストファー大学は「愛」を勉強して「看護師になること」でしょうか。つまり看護が目的・ゴールでしょうか。それとも「看護」を学んで「愛するという人生を実践すること」でしょうか。つまり愛が目的・ゴールでしょうか。

どちらをめざすかは、2番目に説明した実生活の中で愛することを実践できる。これが本学の目的です。看護は愛を表現・実践するための手段です。自分という弱い人間、奇しくも病気を患い弱くなってしまった人と同じ地平に立つ(愛)ために看護を用いるのです。

 

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本学には看護学部・社会福祉学部・リハビリテーション学部とありますが、人間を愛する具体的手段には看護という方法もあるし、社会福祉という方法もあるし、リハビリテーションという方法もある。という意味です。

これまで、「愛」という用語を使ったように本学は、キリスト教精神に基づいた大学です。しかし、これはキリスト教を強制するものではありませんし、著者もクリスチャンではありません。むしろ、宗教の多様性を学ぶということは、人間の多様性を知るという意味において看護の素養につながるものです。簡単に言えば、自分の理解が及ばない、いろんな生き方・考え方(これを異文化といいます)があっていいのだ、という人間の寛容が高まります。

 

精神看護学 清水隆裕