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2018年2月27日 (火)

松井先生インタビュー

松井謙次先生は、聖隷短大の時代も含めて、長年聖隷の看護教育に尽力を尽くしてきた方です。その松井先生が3月で退職されることになりました。そこで、ぜひとも松井先生の看護のとらえ方を皆さんに紹介したくなり、インタビューしに行きました。

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なぜ看護師になろうとしたのですか?

「もともと、本が好きだったのですね。人間の生き方、気持ちの揺れ動き、生きづらさ、悲しみ…中学・高校生くらいから総じて生きることの深さに興味を持っていたので、そのことが本には書かれていた。そこに自分の波長が合ったのですね。でも、社会での自分の働きはそのとき考えていなかった。大学も本が好きだから文学部に行った。卒業して就職したけれど、管理社会で人間の気持ちは大事にされないのが嫌になって辞めました。そんな時に、男性看護師に出会った。その人との対話のなかで、看護は患者さんのつらいことや悲しみを扱うということが伝わってきて、本の世界と繋がったのです。それで自分の道はこれだと思った」

 

学生のときはどんな生活をしていた?

「自分は文学部の大学生のとき学校に行かず、本を読むか酒を飲んですごしていました。でも看護学部に来てからは、学生らしい生活をしようと思って、自分なりにテーマを持って調べたり、考えたり、サークル活動、部外活動とかいろいろな先生のところに行って体験世界の対話をすることが多かったです。その中で自然と看護のこころは培われてきたかなと思います」

 

聖隷の看護って何なのですか? 

「聖隷の看護という定義は示せれないと思います。人間と人間がかかわる中で、自分は何を大切にして来たのか、どこへ行きたいのかを自分で感じ取れればいい。こうじゃなくちゃいけないって言うのはないですね。どう考えてもいいんだけれど、こう生きたいという自分の生き方を考えられることが大切なんじゃないですかね。自分が学生時代に教員との交流の中で一番シンパシーを感じたのは、他者に対して祈りをささげること、我をなくして自分を道具にして相手と向き合うという生き方ですね。自分はまず横において、相手と向き合う。その結果として、相手がどう寝て、呼吸して、活動して、外出して、食べて…何がその人らしいのかを丁寧に導き出していく。それは、自分をまず放棄しないとできないことですね。その場の解決は本当の解決じゃなく、生きづらさを共に背負っていくその苦しさに耐えること、その生き様ですね。看取られたかたもたくさんいると思いますが、そのようなケア者がそばにいてくれたときは、祈りの中に安らぎが生まれてきたのではないかと思う。なので宗教の次元が大切になってくるのだと思います。聖書に〈小さい者の一人にしたのは、 わたしにしてくれたことなのである〉とあるように、小さきもの、弱いもの、貧しいものが最も大切だと思う。それらに対して自分を無にしてかかわる。そうすると自分の中に生きる意味が生まれてくる。自分のなかに弱さ、醜さ、取るに足らなさがある。嘘も言うし、都合のいい解釈もする。でもそれだからこそ、人間なのだといえることが大切。それは自分を無にしたときに生まれるのだと思う」

 

松井先生の看護は?

「患者さんというのは、何かしら辛さ、切なさ、悲しみを持って生きていると思う。そこを眺めたり、理解しようと努力しかかわること。苦しみを軽くできるように対話すること。辛いところをわかろうとして存在すること。それがあってこそ看護になっていく。しかし、そのようなことはできない自分もあることは自覚している。」

 

悲しみや苦しみを背負えるような人生を歩むためのヒントを高校生や学生に

「自分が生きるという意味、生きるという言い方が妥当かどうかはわからないが、生きる意味を問うてみること。生きることに意味があるのか?役に立ちたいと考えるなら、自分は何で役に立ちたいと願っているのか?もう一歩もう一歩と深めていく。自分は真の意味で生きているのか。なぜここにいてどこに行くのかを掘り下げていく。人のためと言いながらも、自分がなぜそうしているのか意味を探ることを大切にしてほしい。意味を見出していくのは、自分を探す旅のようなもの。聖隷と宗教は切り離せないが、すぐに宗教に答えを求める必要はないと思う」

 

インタビュー中、松井先生は語ることや伝えることが難しいとおっしゃっていました。松井先生の語ろうとしていることは言葉が生まれる前の、人間同士の真のつながりという次元の内容だからでしょう。言葉にするとどうしても、実体験と言葉にずれが生じてきます。しかし、松井先生は大変学生からの信頼を得た看護教員でした。おそらく言葉以前の、松井先生という人間が醸し出す雰囲気や空気や態度、音声、音調…などを学生が肌で感じ取っていたのだと思います。その醸し出されている雰囲気の原点は、キーワードにもなっている、辛さや苦しみや悲しみを伴って生きることでしょう。自分の辛さ苦しさ悲しみから逃げずに、その意味を吟味していく。その過程を経て初めて、相手の苦しみと向き合えるようになるということなのだと思います。そして松井先生はそれを実際に実践してきたからこそのお話だったと感じました。

 

精神看護学領域 清水隆裕