2019年2月

2019年2月14日 (木)

 本書であるが、既に書かれたものの再録やそれの大幅な加筆で成り立っており、執筆者の田島が編著である『「存在を肯定する」作業療法へのまなざし-なぜ「作業は人を元気にする!」のか』(三輪書店)(以下、作業療法へのまなざし)の第2章の文章が、本書の第12章に収められている。

 著者の立岩真也氏は、ともすると置き去りにされがちな障害や病をしっかりと掬い取ったうえで壮大な社会理論の構想をしていることで知られる著名な社会学者であるが、立岩氏の社会に対しての問いの視点は一貫している。それは、「この社会における所有に関する規則とそれに関わって生じる財の配置と能産的であることで人は価値を有するという価値」(p98)である。そして、それについては、ポストモダンと呼ばれる懐疑的思想の流行っている現代においても、あまり変化はしておらず、そうした意味において社会はあまり変わっていないと言う(p97)。

 本書は3部に分かれていて1では、本書のタイトルにもなっている「不如意の身体」をめぐる社会のあり様とその問題点、解法が解きほぐして書かれてある。「不如意の身体」とは、①できない、②異なる、③痛い、④死、⑤加害、であるが、どれも障害や病によって往々にして生じるものであり、したがって本書を読むと、障害や病をめぐる社会の対し方が隅々まで解読できる感触を持つ。

 2では、障害に関する理論的な2著作である星加良司『障害とは何か―ディスアビリティの社会理論に向けて』(生活書院)、榊原賢二郎『社会的包摂と身体―障害者差別禁止法後の障害定義と異別処遇を巡って』(生活書院)(立岩氏は本書のなかで、この十数年の間に世界で2つだけ出された、と評している(p249))、の理論的検討を行っている。2著作とも障害学という学問に関わる本であり、障害をどのように定めるか、あるいは浮きぼるか、といったことをめぐる理論的な到達点を示すコアな箇所でもある(ので無理して読まなくてもよいかも知れない)。

 リハビリテーションに関わるのは3である。正確に言うと、3と1の第3章がそれにあたる。立岩氏がいつも注目するのは本人と専門家の対立や亀裂が起こっている場面である。だからこそ専門家がリハビリテーションの対象者に対して、何をして、何をしてこなかったかが明るみになってくる。『作業療法へのまなざし』で立岩氏の文章を田島が読解した文章を繰り返す。「「なおす」というような作業療法の営みが、障害に対して「できること」を促すことに重きが置かれがちになるということ[略]現行の作業療法の職分が、こうした社会の価値や規則をみたときに、必ずしも対象とするクライアントにとって利益のある働きかけばかりでなく、それが対象者にとっての不利益な状況を維持することに加担する可能性がある」(p142‐3)。リハ職のあり方を、効果検証という本質主義的手法のみならず、構築主義的手法で明るみにするという方法もあると思う。立岩氏は(以前も現在も)、「なおす」「なおる」ことをめぐり起こったこと、言われたこと、考えられたこと(p341)を調査してくれる人を募集中です[連絡先:TAE01303@nifty.ne.jp]。