2021年4月27日 (火)

コロナ禍の2度目の春を迎えて

今年も桜の季節を迎えました。コロナ禍の社会の実相とは異なり、自然の恩恵を感じます。昨年も桜の花びらが美しく舞っていましたが、学生の姿のないキャンパス、寂しい心持ちであったことを思い出します。今年は、通常とは言えないまでも、活気が戻り生命の息吹を感じます。このまま、日々の生活と学習が守られることを願うばかりです。

 

大学礼拝も、学生が秩序だって間隔を空けて着席し、始めることができています。ほとんどの学生が初めての経験で、緊張の面持ちです。宗教は英語で「religion」ですが、その語源は「religio」で、「結び合わせる」「連結」という意味があるそうです。礼拝を通して神様(の言葉)と結びつき、また友人や教員との絆を深めることができればと思います。

 

人は苦難の時、孤独に陥ります。そのような時、つながりや救いを求めます。私も礼拝に出席し、時に卓上の聖書を開くと、不思議に勇気づけられる言葉や教えに出合い、新たな気づきを与えられます。先日は、以下の言葉が目に留まりました。

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「わたしたちは知っているのです。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことはありません。(ローマの信徒への手紙5章3節~4節)」

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苦難に対して忍耐強く立ち向い、学びを通して知性を磨き精神的に練達した人に成長できる。そうすることで希望も生まれるということでしょう。

 

コロナウイルスの変異株が拡大し、感染第4波が迫っています。苦難の時、時に一人静かな時間を過ごし、目には見えないつながりから何かを学びとって希望を見出してほしいと思います。

 

2021年3月29日 (月)

2020年度卒業式・修了式:保健医療福祉・教育の時代を拓く現代のクリストファーへ

昨年2019年度の卒業式・修了式は、新型コロナウイルスの感染予防のため、ご家族の出席はお控えいただき、大変遺憾でした。今年度の方針を「コロナ対策会議」で検討し、ご家族1名の出席として執り行いました。人生の大切な節目をご家族とともに祝福できたことは、また保護者の皆様に感謝をお伝えでき、喜ばしい限りでした。今年度の卒業生・修了生の皆さんは、新型コロナウイルスの感染拡大の影響を受け、感染対策と制限下での学修や研究活動、自粛生活を余儀なくされました。しかしそのような状況にあっても目標を失わず、一人の落伍者も出すことなく、卒業生・修了生を送り出すことができ感謝の気持ちで一杯です。

 

卒業式・修了式は、10年前に東日本大震災が発生した3月11日でした。そして今私たちは、新型コロナウイルスの感染拡大の渦中にいます。第4波のリスクも高まってきています。このままコロナ前に戻るならば、人類を襲う、さらに深刻な事態が生じることは間違いないと危機感を覚えます。これからは、自然と共存し、人の命と生活と幸福を重視する価値観や政策への転換をはかる「保健医療福祉・教育の時代」に進むべきです。その未来の方向性を変える歴史的な転換期に立っていると感じます。その未来を築くことができるのは、卒業生・修了生の皆さんです。卒業生・修了生の皆さんが、建学の精神である「生命の尊厳と隣人愛」を実践し、保健医療福祉・教育の時代を拓く現代のクリストファーの如く活躍されることを願っています。

2021年2月26日 (金)

ポストコロナは、保健医療福祉・教育の時代

2月17日、日本でも医療従事者を対象に、新型コロナウイルスのワクチン接種が始まりました。収束に向けての明るい兆しが見えてきたように思います。しかし、今回の百年に一度のパンデミックの教訓を決して忘れてはなりません。このままコロナ前に戻るならば、人類を襲うさらに深刻な事態が生じることは間違いないでしょう。

 

教訓の一つは、自然の脅威に対して社会システムがいかに脆弱であったか、人間の命や健康、生活や幸福がいかに脆く壊れやすいものであったかということです。特に、保健医療や介護の崩壊、貧困や格差、孤立や虐待など、私たちの命と生活に直結するいろいろな問題が浮き彫りになっています。その要因は、環境破壊を続ける人間の過信や傲慢さ、経済合理主義を優先して人間の生命や健康、生活や福祉を守る政策を後回しにしてきた社会政策、また保健医療福祉の仕事を過小評価し、この分野と人材育成に投資してこなかったツケではないでしょうか。今回の感染症の発生と拡大、それに伴う社会の混乱は起こるべくして起こった、その予兆を察知しながらも見てみぬふりをしていたといえます。コロナを契機にこれからは、「自然との共生」「命の経済と政策」を重視した「保健医療福祉・教育の時代」と進むでしょう。経済合理主義から脱し、自然との共存、人の生命と生活と幸福を重視した価値観と経済及び政策の転換をめざすべきだと思います。

 

コロナ禍で、「エッセンシャル・ワーカー」という言葉が話題になりました。「私たちの生活や社会機能を維持するために必要不可欠な仕事、その仕事を担う人」という意味です。保健医療福祉の現場では、今この時も、医療職や介護や福祉職の方々が感染リスクを引き受けて、不安や恐怖を抱えながらもそれに耐え、与えられた責任と使命を果たそうと懸命に仕事をされています。目立つことなく華やかでもありませんが、このような仕事を担う人がいなければ、人の命や健康や生活はもちろんのこと、この社会も根底から崩れてしまいます。いかに科学技術が発展しても、人を愛する心を持った人間の手によってでしか行えない仕事です。保健医療福祉・教育の仕事の価値を大切にする社会であって欲しいと願います。

 

間もなく本学からも、「保健医療福祉・教育の時代」を担う卒業生・修了生が旅立ちます。建学の精神である「生命の尊厳と隣人愛」の精神を実践し、人々の命と健康と生活を守り、社会の安寧と発展に尽くされます。活躍を祈念いたします。

2021年1月28日 (木)

「冬来りなば 春遠からじ」

2019年12月末に発生した新型コロナウイルスは、瞬く間に世界を制圧し、今もなお終息の兆しは見通せない状況です。年が明けてからは、保健医療福祉体制の崩壊危機が深刻化し、11日には首都圏1都3県に、加えて14日には2府5県に、2回目の緊急事態宣言が発出されました。感染の恐れとともに、自由が奪われ、家族や近親者との別離や隔離が続き、この事態が容易には過ぎ去らないことを思い知らされています。この苦痛と困難な生活、忍耐と希望への足踏みはいつまで続くのでしょう。

 

“冬来りなば 春遠からじ”、この原文は、イギリスの詩人シェリーの「西風に寄せる歌」の一節“If winter comes, can spring be far behind?”に基づくものだそうです。美しい日本語に翻訳され、春の訪れを待ちわびるあたたかい心になります。一方、原文は疑問文となっています。“冬が来れば、春が間もなく訪れるだろうか?”この疑問文には、困難や苦悩を乗り越えた先の期待や希望に加え、それが叶えられない焦燥や失望をも読み取れるように思います。

何かを「待ち望むこと」は、期待や希望、願いと祈りであると同時に、焦燥や失望、怒りや苦痛といった感情も生起されます。私たちは、「待ち望むこと」にどのように耐え、また支えることができるでしょう。今は、苦痛や困難や試練の意味を見いだすことが難しいかもしれない。でも、“後に分かるようになる。その意味を見いだせるようになる。”そう信じることができれば、それに耐え、希望を見出すことができるのではないか。

 

そのためには、経済合理主義優先の社会から、自然との共存、人の生命と生活と幸福を重視した価値観と社会の転換に向かって行動しなければならないでしょう。今年は、私たちの未来の方向性を変える大切な分岐点になるに違いありません。コロナ前に戻るのか、新しい未来を築くのか、その道を選ぶ時です。

 

2020年12月25日 (金)

コロナ禍の一年を振り返って

今年、コロナ禍で私が時折思い出していたのは、私が中学校に入学したころの校長先生のお話でした。後に調べてみると、その話は、「旅人の話」という逸話をもとにした話であったことがわかりました。こういう話です。

 

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ある日、一人の旅人がある村を訪ねました。村の入口に一人の老人がいたので、旅人は「おじいさん、この村はどんな村かね?」と尋ねました。老人は「お前さんがこれまでいた村は、どんな村だったんだい?」と聞き返しました。「俺が前にいた村は村人が喧嘩ばかりして、嫌な村だったね。」と旅人は答えました。すると老人は、「そうかね、この村もお前さんが以前いた村と同じように、嫌な村だな。」と答えました。

 

またある日、別の旅人がその村にやってきて、村の入口にいた老人に、「おじいさん、この村はどんな村かね?」と尋ねました。老人はいつものように、「お前さんがこれまでいた村は、どんな村だったんだい?」と返しました。旅人は、「私が前にいた村は、村人は親切で働き者で、あんなに良い村はなかったよ。」と答えます。すると老人は、「そうかね、この村もお前さんが前にいた村と同じように良い村だな。」と答えました。

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この逸話は何を教えているのでしょう? 校長先生は、これから厳しい寮生活を始める私たちに、生活や環境の良し悪しは、自分自身の考え方や心のあり様によって変わる、変えることができるということを教えたかったのだと思います。結局、その人自身が環境や状況を生み出し、創り上げるということなのでしょう。

 

私たちは今年一年、新型コロナウイルスに翻弄されました。しかし、そのような環境にあっても、私はことあるごとに教職員・学生皆さんの使命感と献身に支えられ助けられた感謝の一年でした。またいろいろな出来事に鍛えられ成長した一年でもありました。加えてコロナを契機に、新しい教育方法を学び、教育環境の整備もすすめることができた発展の年でもありました。総括して、学びの多い豊かな一年であったと振り返ることができます。

 

来年も新型コロナウイルスの影響は続き、忍耐を要すると思います。予測不可能で、判断の難しい一年になるとも思います。しかし、どのような環境や状況にあっても、私たち自分自身が環境のつくり手であることを大切にしていきましょう。

 

今年一年、学長ブログをお読みいただき、ありがとうございました。新型コロナウイルスの収束と、皆様の新年のご健勝を祈念いたします。

2020年11月24日 (火)

宇宙からの希望の光

野口聡一さんと3人の宇宙飛行士が搭乗した米スペースXの新型宇宙船「クルードラゴン・レジリエンス号」が、日本時間11月16日午前9時57分、米フロリダ州から国際宇宙ステーション(ISS)に向けて打ち上げられた。白煙を噴出しながら真っ直ぐ勢いよく打ち上がるロケットの機体を見ながら、鉄腕アトムに夢中であった小学生の頃を思い出した。

当時、宇宙開発は、米国とソ連の間で競争が激化していた。1961年にソ連がユーリイ・ガガーリンによる人類初の宇宙飛行に成功すると、米国はアポロ計画を打ち出して、1969年「アポロ11号」で人類初の月面着陸を成し遂げた。授業を休講にしてもらって、その歴史的瞬間にくぎづけになったことを思い出す。「これは1人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な一歩である」、月面に立ったニール・アームストロング船長の言葉である。そして50年が経った。民間企業初のロケット打ち上げの成功で、「宇宙旅行時代」の幕開けとなった。スタイリッシュに劇的に進化した宇宙服が、技術の進歩を物語っていた。

日本時間17日午後1時すぎ、「クルードラゴン」は無事に国際宇宙ステーションに到着した。抱き合って喜びを分かち合うクルーの姿が微笑ましかった。野口さんを含む4人のクルーは男性と女性、白人・黒人・アジア人と、多様性に富んだ構成である。「違いを理解することがクルーの結束の原動力である。」「多様性こそが強靭性につながる。困難な状況を打ち勝つキーになる。」と野口さんは言う。

新型コロナウイルスへの感染が拡大し、自国主義や人種主義、排外主義、悲寛容に向かい混迷を深める地球へ、宇宙から希望の光が届けられているように思えた。

2020年10月30日 (金)

コロナ禍におけるパラダイムシフト

冬場に入り、新型コロナウイルスの感染者が増加傾向にあるようです。また感染予防と経済の両立を図るため、人の動きも活発化しています。少し油断をすると、その隙間に忍び寄るのが感染症の恐ろしさです。大学においても、心の緩みに注意しながら教育との両立を図っているところです。

 

新型コロナウイルスが顕在化し、10か月が経ちます。感染予防策、行動の自粛、活動の制限が日常となってきました。大学でも、授業の約2割がオンラインで、学会やセミナー、学外の諸会議も全てがオンラインとなっています。私もコロナ前は週1度ほど出張していましたが、2月以降は一度も出張なし(控える)の状況です。とは言え、それで何か困ったことはあるかと自問しても、特に大きな事態は生じていませんし、却って仕事のゆとりが生まれているようにも感じます。これも、身近なポジティブなパラダイムシフトでもあるように思います。パラダイムシフトは、今回のような突然の環境変化の影響によって、それに適応することを強いられるが故に生じる現象でもあると実感しました。巨視的にも、産業界では運輸業や飲食サービス業、宿泊業は業績悪化の大打撃を受け、情報通信業や通販サービス業が発展するといった構造変化が起こっています。

 

人類進化も、今私たちが経験しているような外部圧力で生じてきたようです。急激な変化に適応し、創造性を発揮することが、人間の力です。そのためには、感性と情緒、理性や知性といった人間性を失わないようにしなければなりません。それには、身体性を伴った心の交流、対面での対話、体感(体験)を通した学びが不可欠であると思います。

2020年9月28日 (月)

2020年度秋セメスターに向けて

当地で、国内最高気温41.1℃を記録した酷暑も過ぎ去り、秋分を迎え、これから次第に秋が深まってきます。大学では先週(9月24日)のガイダンスから秋セメスターが始まりました。大学にも活気が戻り、学生皆さんの表情から、秋セメスターに向けてのモチベーションの高まりを感じます。とは言え、新型コロナウィルス感染症の不安も頭をよぎります。この秋セメスターも、学生・教職員の安全・安心と、教育・学修の質保証が目標です。また秋セメスターには、各種の行事(聖灯祭、ホームカミングデー、卒業・修了式など)が予定されています。通常開催を基本とし、活動指針の危機管理レベルを参照しながら、代替案を準備して臨機応変な対応が求められます。

 

全国の国公私立大や短大、高等専門学校(回答数1060校)のこの秋以降の授業形態は、文部科学省の調査結果では、全面的に対面とするのは2割弱、オンラインによる遠隔と対面を併用とするのは8割ということです。感染リスクを恐れ過ぎて、学生の学びを放棄したり、教育の質が低下してはいけません。ある程度のリスクを想定しつつ、教育を推進していきます。本学では、対面授業を基本にして一部は遠隔授業も活用し、その教育成果や授業評価、満足度調査を行って、次年度以降の教育改革に活かしていきます。

 

学長ブログ2020年6月」でも執筆したように、教育の本質は、学生と教員が対面授業を通して学び合うことにあると思います。特に本学のように、保健医療福祉教育の専門職業人を育成する大学では、知識の伝達だけではなく知識の共創、共感による人間性の涵養、専門的な技能の修得のためのハンドリングが重要です。私は、大学の本質的価値はオンラインでは提供できないと思っています。大学の価値の一つは、共に出会い、共に学び合うことです。コロナ禍においても、それを実現できるよう創意工夫をしていきたいと思います。

2020年7月31日 (金)

ポストコロナに向けて:忘れずつなぐこと

7月に入って、右肩上がりに新型コロナウイルス感染症が再び首都圏から全国に拡大し、第2派の様相を呈しています。浜松市においてもクラスターが発生し、日々感染者が報道され予断を許さない状況です。本学学生も罹患し、危機管理体制を厳重警戒レベルとし、感染予防と抑制に向けた周知徹底を告知しています。学生・教職員の安全安心と、学習の質保証、学ぶ権利と自由などとの両立を模索することがまだまだ続きます。

 

一方、今年は過去になく梅雨前線が列島に長く停滞し、7月初旬には記録的な豪雨に見舞われ、熊本県など広域で甚大な被害をもたらしました。新型コロナウイルス感染症の影響で苦境にあえいでいた観光地にも壊滅的な打撃を与え、「ようやく客足の回復の兆しが見え始めた矢先に・・・」「またこんな仕打ちを受けるとは・・・」という悲痛の声が聞かれます。

 

近年の度重なる甚大な自然災害や新興感染症の出現は、地球温暖化と深く関係しています。自然破壊、地球温暖化、野生動物と人間の境界の消失、新興感染症の発生、そしてこれらと人間の生命と生活は密接に連鎖し、その代償が今顕在化しています。私たちに与えられている大きな恩恵は、失ってはじめて気づかされます。しかし残念ながら、これからも自然災害や新興感染症の発生、それらによる生命と日常生活の危機は繰り返されるでしょう。それを防ぐには、まさに今、私たちがその渦中にいて経験した(している)ことや逡巡する思索を忘れずに未来につなぐことでしょう。そのことが今を生きている私たちの責任と使命でもあると思います。

2020年6月30日 (火)

ポストコロナに向けて:利他の心

6月15日、通学による授業を再開しました。大学では、感染予防と「新しい生活様式」を取り入れながら、次第に明るさとアカデミックな活気が戻ってきています。教育の本質は、心身の共感と共創を通して学び合う“面授”にあると実感しています。

 

6月19日には、全国の移動自粛要請が解除されました。報道では感染拡大前と変わらない状況に戻りつつあり、首都圏では感染者も一時より増加傾向にあります。1918年に始まったスペイン風邪は第2波の被害が大きかったという過去の教訓を覚えると、油断なく備えが必要です。

 

4月16日に放送されたNHK「緊急対談 パンデミックが変える世界 ~海外の知性が語る展望~」でインタビューを受けたジャック・アタリ氏(フランスの経済学者・思想家)の、「利他主義への転換。『他者のために生きる』という人間の本質に立ち返らねばならない。」という言葉が印象的でした。利他の心は、他者への思いやりや配慮ある行動です。コロナ禍ではマスクをつける、手洗い・手指衛生を励行する、3密を避ける、控えめに話すなどのエチケット(マナー)が、他者の健康を守り、ひいては自分を含む私たちの日常の生活を守ることになります。利他の心は、強制や監視、管理独裁主義ではなく、一人一人が他者との信頼関係(共感)を築き、責任ある行動を主体的に示すことで涵養されるものでしょう。それには、教育こそが重要です。

 

ポストコロナの時代(21世紀)は、命と健康、生活と福祉を守る保健医療福祉・教育の時代であると改めて感じています(アタリ氏は「命の産業」と表現しています)。本学では、「生命の尊厳と隣人愛」を実践し、他者を思いやる利他の心をもった専門職業人の育成を目指します。