2023年10月30日 (月)

平和を願う祈り

猛暑の夏が過ぎ、10月下旬になってようやく秋らしくになってきました。とは言え、この時期になっても、日中は夏日が続き、地球温暖化の深刻化を知ることができます。

この頃は、餌を求めて市街地に出没するクマ被害が、連日報道されています。

世界の情勢も深刻化しています。ウクライナとロシアの戦争は膠着状態に入り、イスラエルとパレスチナの紛争は日増しに激化しています。ガザ地区の悲惨な戦場下にある子たちたちの悲痛な叫びに心を痛めます。

日本は平和な日常ですが、大国間競争に巻き込まれる懸念が広がってもいますし、歴史的円安と物価高騰が続き、生活に困窮する家庭や人たちが増えてもいます。

大学では、このような社会情勢のなかにあっても、学生皆さんがそれぞれの目標に向かって学修や実習に取り組んで、明るく活気ある日常です。彼らが、生命の尊厳と隣人愛の精神をもった保健医療福祉及び教育・保育の専門職者として、平和と、人々の命と健康、生活と福祉に貢献されるのだと、遠くに思いに馳せながら、世界の平和を祈らざるを得ません。私たち一人ひとりは無力な存在です。しかし、平和を願う祈りを捧げることができます。

 

「平和を願う祈り」

<アッシジの聖フランチェスコ(聖フランシスコ)1181~1226年>

主よ、私をあなたの平和の道具にしてください。

憎しみのあるところに愛を、争いのあるところに許しを、

分裂のあるところに一致を、疑いのあるところに信仰を、

誤りのあるところに真理を、絶望のあるところに希望を、

闇に光を、悲しみのあるところに喜びを、

もたらすものとしてください。

 

主よ、慰められるよりも慰めることを、

理解されるよりも理解することを、

愛されるよりも愛することを、

私が求めますように。

 

なぜなら私が受けることは与えることにおいてであり、

許されるのは許すことにおいてであり、

我々が永遠の命において生まれるのは死においてであるからである。

 

2023年7月31日 (月)

春セメスターの終わりに

梅雨明けから、体温を超えるような酷暑が続いています。大学では学生の皆さんが、この暑さに負けず、春セメスターの修了を控え、学生ホールや演習室でまとめの学修に精を出しています。その姿に、成長と頼もしさを覚えます。

春セメスターの礼拝も最終を迎えました。宗教主任の永井英司先生が「身を起こす青年サウロ」という題で、使徒言行録9章の「サウロ(パウロ)の回心」のお話しをされました。

ユダヤ教徒であったサウロは、誤った正義感や自意識から、キリスト教徒を捕まえ迫害を加え殺害さえしていました。ある日突然、まばゆい光が天からサウロを照らし、その輝きでサウロは目が見えなくなってしまいます。健康を失い挫折したサウロのもとに、イエスの遣いのアナニアが訪れ、福音を告げます。するとサウロの目から、うろこのようなものが落ち、目が見えるようになります。そして回心し、180度生き方を転換して宣教の旅に出るというものです。

“うろこのようなもの”は、英語で“something like scales fell from Saul’s eyes”というそうです。このScaleには、規模(スケール)・定規(物差し)・計り・尺度・基準・地位、そして鱗(うろこ)など多くの意味があります。サウロの目から落ちたうろこのようなものとは、それまで身についた物事のみかたや考え方、価値観、プライド、おごりではなかったでしょうか。そのようなうろこが、本来のサウロの力(あるべき姿)を覆っていたのでしょう。

この春セメスター、学生の皆さんはどのように成長されたでしょう。目からうろこのようなものが落ちる学びや経験をされたかもしれません。それは困難を伴うものではなかったでしょうか。しかしそのことが、新しい自分との出会い、自分の本来あるべき姿や才能(Talent)の発見、自分に与えられた使命の気づきにつながるのではないかと思います。

苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む(ローマの信徒への手紙5章4節)

2023年6月30日 (金)

Tender Loving Care

梅雨の最中、空は暗く、しとしと、じめじめ、気分が晴れない日がつづきます。晴耕雨読を楽しみながら、この時期を乗り越えていきたいと思います。

さて大学では、3年ぶりに国際交流プログラムが再開され、サミュエルメリット大学(Samuel Merritt University:SMU、アメリカ・カリフォルニア州)から看護学部生と先生方をお迎えしました。学内も次第に、グローバルキャンパスへと回復してきています。

交流プログラムの聖隷三方原病院や関連施設での研修を終えたミーテイングで、SMUの先生方の感想をお聞きました。口々に、それぞれの病院・施設や訪問看護が、同じように、対象者一人ひとりに思いやりと愛情を込めた看護やケアがなされていることに感銘を受けたと話しをされました。聖隷の基盤にある隣人愛の精神が、看護やケアの実践に活かされていることを肌で感じてもらい、大変嬉しく思いました。

その時に、私がお話したことは次のようなことでした。

日本語で看護の「看」は、「手」と「目」と書きます。あたたかな手(タッチ)と目(まなざし)で対象者に接し、心を配ることが看護の基本です。日本語には「慈しみ」という美しい言葉があります。これは、英語では、「Compassion」という他者への思いやりや配慮を表す単語に近い日本語です。私たちは、慈しみ(Compassion)という看護のケアの本質を大切にしたいと述べました。それに対し、SMUの先生が「Tender Loving Careですね」と言われ、正にそうだと感心しました。

Tender Loving Careとは、医療や介護の場面で使用される“思いやりあるケア”を示す言葉です。このTender Loving Careは、慈しみ、Compassionといった感性によって実るものです。聖隷の病院や施設・訪問看護では、隣人愛の精神を基にしたTender Loving Careが実践されているのです。

2023年5月31日 (水)

「プロフェッショナル」について

過日、「全国理学療法学教育学会」という学会で、「プロフェッショナリズムをめぐって」というシンポジウムが開催されました。私も登壇し、私の考える“プロフェッショナル”についてお話しました。

professionalの語源をたどると、それは宗教的(信仰的)な意味合いの強い言葉でもあるようです。宗教弾劾の時代、公に信仰を告白することは命がけでしたが、それでも信仰を告白せずにいられなかった。それは、信仰(神との契約)のもとにそうせざるを得ない強い使命感や責任感のような自らの内から湧いてくる衝動(精神の内的促し)があったからではないかと思います。プロフェッショナルには、そのように自らをプロフェッショナルたらしめる“精神の内的促し”が根底にあるように思います。その善き“精神の内的促し”を自ら育てていくことが、プロフェッションの道のり(プロフェッショナル・アイデンティティの形成)です。本学では、その善き“精神の内的促し”の源泉に、建学の精神「生命の尊厳と隣人愛」が位置付けられます。

保健医療福祉のプロフェッショナルの仕事は、「癒しの技」を大切にするアートと、専門的かつ科学的な最新の知識と技術のサイエンスが、相互補完的に展開されます。前者は自分自身の精神を掘り下げていくベクトル、後者は外に向かって開いていくベクトルです。本学の教育は、建学の精神を土台として、学生一人ひとりが人間性を磨き高め、フィロソフィーを醸成していく前者を大切にしたいと考えています。建学の精神に支えられた“精神の内的促し”が、学生一人ひとりのプロフェッショナルとしての成長を支え導くことになると信じています。

 

 “精神の内的促し”という言葉は、森有正(日本の哲学者、フランス文学者)「生きることと考えること (講談社現代新書)、1970」からの引用であることを付記します。

2023年4月28日 (金)

2023年度の新たなチャレンジ

新入生の皆さんを迎え、キャンパスも明るい活気を感じます。学生皆さんが、今の自分を超える新しい自分にチャレンジしてほしいと願っていします。

今年度、本学は「国際教育学部」を開設し、保健医療福祉の総合大学から保健医療福祉及び教育・保育の総合大学へ、新たな発展を目指します。国際教育学部では、教育・保育・心理の3つの系を系統的かつ複合的に学修できるカリキュラムにより、国際バカロレア教育の理念と実践を柱に、子どもの多様なニーズに応え得る保育士・幼稚園・小学校教員を育成します。また、社会福祉学部と国際教育学部には、新たに、公認心理師を目指す課程を開設しました。

看護学部・リハビリテーション学部とも協働して、保健医療福祉及び教育分野で活躍する心理の専門職者を育成します。そして2026年度には、大学院社会福祉研究科に公認心理師課程を開設する計画です。

大学院では、この地域とともに世界の保健医療福祉の現場でキーパーソンとして活躍する実践力と研究力を備えた高度専門職業人の育成に力を注いでいます。看護学研究科では、NP(ナース・プラクティショナー)の養成課程を開設(2024年度)準備が進められています。学生ひとり一人と、学部学科・大学院の新たなチャレンジと発展を期待しています。

聖隷は、社会の課題解決とニーズに応え得るよう多くの困難を克服してきた歴史があります。私たちも、先人が歩んできたように、教職員一人ひとりが不断にチャレンジし前に進む。そして、自ら新たな時代を切り拓く聖隷クリストファー大学でありたいと思っています。

2023年3月31日 (金)

卒業生・修了生の皆さんへ:プロフェッショナルの歩み

新型コロナウイルスの感染拡大から3年、またロシアによるウクライナ軍事侵攻から1年、が過ぎました。世界は今、先行き不透明な混迷の時代です。しかし、どのような時代にあっても、平和と人間の命と健康、生活と福祉と教育が普遍的な価値であることに変わりはありません。卒業生・修了生の皆さんが、建学の精神である「生命の尊厳と隣人愛」の精神を基盤に、それぞれのプロフェッショナルとして成長されますことを願います。

2022年度卒業・修了式 学長の言葉

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新型コロナウイルスの感染拡大から、4年目の春を迎えます。振り返れば、始めて緊急事態宣言が発出されたのは、卒業生の皆さんが2年生になったばかりの頃でした。以来今日まで、感染の不安、自己抑制と奮起のなかで、講義・演習・実習、研究活動に奮闘されてこられました。私たち教職員も、ベストを尽くして参りました。そして本日ここに卒業・修了を迎えられ、今日までの皆さんの努力と研鑽に敬意を表し、心より祝福申し上げます。皆さん、誠におめでとうございます。また学生皆さんの生活、学習、研究を支え、大学運営にもご協力いただきました、ご家族の皆様に、感謝とお慶びを申し上げます。誠におめでとうございます。

さて、卒業生の皆さんは、今日から、保健医療福祉及び教育・保育の専門職業人(プロフェッショナル)の道を歩みだされます。また大学院修了生の皆さんは、各分野のリーダーとして、新たなステージに進まれます。皆さんが様々な困難を乗り越えられてきたのも、プロフェッショナルとしての自覚と責任をお持ちであったからだと思います。

“professional”の語源は、“profess”、すなわち“公言する、公に誓う”という意味があります。皆さんは、保健医療福祉及び教育・保育のプロフェッショナルとして、自分の使命と責任を社会に宣言し、その期待に応えることが求められます。プロフェッショナルの資質には、道徳心・倫理観をもつこと、公益を重んじること、対象者の最大の利益に資すること、そのために専門的な知識と技術を修得し、なお研鑽すること、といったことが共通の認識です。加えて、本学を卒業・修了する皆さんは、それぞれのプロフェッショナルの基盤に、“生命の尊厳と隣人愛”の精神があることも認識しておられます。

仕事という言葉には、英語で “job”“career”“calling”という単語があります。“job”は報酬や生業、 “career”は出世や経歴、“calling”は天職、という意味です。この“calling”の語源には、“神様からの呼び声、呼びかけ、そしてそれに応える”、という意味があります。私は、皆さんのプロフェッショナルの仕事は、“calling”、すなわち天職であって、自らその仕事を選んだというよりも、その仕事にふさわしい者として、神様に選ばれ、その仕事を与えられたのだと思っています。そう考えるならば、その期待と使命に応えられるよう、自ら成長していくことが、プロフェッショナルであると言えます。

プロフェッショナルの道のりは、長い道のりです。途中で、立ち止まること、道に迷うこと、バーンアウトしそうになることもあるでしょう。そのような時、自分に与えられた仕事の意味・目的は何か、なぜ自分はこの道を歩んでいるのか、この仕事は私に与えられた天職ではないか、あなたの心の声に耳を傾けて欲しいと思います。それは、神様との対話であるかもしれません。プロフェッショナルは、内なる声を聴きながら成長する、“省察”の人であると言えます。

皆さん、時代は今、混迷と不安のなかを進んでいます。しかし、皆さんが歩む、保健医療福祉及び教育・保育のプロフェッショナルの道は、どのような時代にあっても、人の幸せと、世界の平和に尽くす価値高いものです。皆さんが自分に与えられた仕事を愛し、プロフェッショナルとして、成長されますことを願っています。 

2023年3月9日

聖隷クリストファー大学

学長 大城昌平

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2023年2月28日 (火)

マリアノ・マルコス州立大学(MMSU)への訪問

COVID-19のパンデミックによる世界的な渡航制限によって、対面での国際交流活動が制限を受けてきました。ようやく今年から、いわゆる水際対策の緩和によって、渡航や受け入れでの国際交流を段階的に再開することにしました。再開にあたり、私もフィリピンのマリアノ・マルコス州立大学(MMSU)を訪問しました。ワクチン接種証明証を修得し、フィリピン入国のeTravelの手続きを取り、Visit Japan Web登録を済ませ、これまでにはない渡航準備でしたが、思いの外、スムーズな渡航でした。

 

MMSUとは、コロナ前の2018年に学長のDr. Shirley Castañeda Agrupisが本学を訪ねられ、2019年に私が訪問する計画でした。しかしパンデミックのため、オンラインでの交流協定の締結となって、この3年間、訪問を延期していた経緯があります。

 

訪問では、Agrupis学長、ヘルスサイエンス学部長のProf. Ryan Dean T. Sucgang、理学療法学科長のProf. Myra R. Lampitocはじめ関係皆様にお会いし、親交を深め、交流プログラムの発展に向けてのデイスカッションを行いました。良いアイデアが共有でき、大きな成果を得ることができたと思っています。また今回の訪問では同時に、本学理学療法学科学生と教員がMMSUの関連病院等で研修(国際理学療法実習)の機会を得ており、そこにも訪問しました。皆様には、あたたかい歓迎と行き渡る心遣いを頂戴しました。

 

グローバル化が進展する一方、世界情勢は多くの危機を抱えています。しかし私たちは、このような国際交流を通して、お互いの知識や技術をシェアし、より良い世界を築くこともできます。また、他国の文化や思想や多様性を尊重し、お互いを思いやる利他の心を学び合うこともできます。小さな力ですが、このような交流が世界の平和につながることを肌で感じました。

 

2023年1月20日 (金)

“life is short, arts is long”

年を重ねるごとに、人生がいかに短いか、そのことを実感します。昨年は父が他界し、恩師であるHeidelise Als先生(Harvard大学)、仁志田博司先生(東京女子医科大学名誉教授)が逝去されました。Heidelise Als先生は、早産児の発達ケア(Developmental care)のパイオニアで、早産児行動評価法 (Assessment of Preterm Infant's Behavior; APIB)や新生児の個別的発達ケアと評価プログラム(Nnewborn Individualized Developmental Care and Assessment Program; NIDCAP)を開発し、赤ちゃんとご家族の支援に貢献されました。私が1988年に米国ボストンのBrazelton Institution, Boston Children's Hospital and Harvard Medical Schoolに、新生児行動評価(Neonatal Behavioral Assessment Scale ; NBAS)を学ぶために留学して以来、日本での早産児の発達ケアとNIDCAPの普及にご指導とご支援をいただきました。仁志田博司先生は、新生児医学(医療)の第一人者です。日本における近代的な新生児医学(医療)を確立し発展させて、多くの赤ちゃんの命を救われました。世界1位を誇る我が国の新生児死亡率は、先生の業績無しにはなし得なかったでしょう。またライフワークとして、赤ちゃんのあたたかい心の育成にも注力されました。私とは、共に「日本ディベロップメンタルケア研究会」を創設し、早産や発達リスクのある赤ちゃんのあたたかい心のケアや親子の関係性を目標とした発達ケアとNIDCAPの推進と、それに精通する医師や看護師、心理やリハビリテーションなどの専門職者の育成にもご尽力いただきました。

 

表題の“life is short, arts is long”は、医聖と称される古代ギリシャのヒポクラテスの言葉です。日本語では一般に、「人生は短く、術のみちは長い」。すなわち、人生は短く、芸術や技能の修得には長い時間を要する、と解釈されます。また他に、“医師(医療者)の一生は短いが、医術の命は長い(永い)”。すなわち、 人の一生は短いが、その人が培った医術のみちは過去から現在、そして未来へと次世代につながれ、永遠の命をもつ、という解釈もあります。

 

師からの学びを継承し発展させ、次世代につないでいくことが、私たちの使命でもあります。そうして、先人とその教えは、永遠の命を得るということでしょう。

2022年12月22日 (木)

クリスマスの奇跡

聖隷は、草創より、多くの困難を克服してきた歴史をもちます。その度に、奇跡と言えるような思いもよらない出来事が起こりました。 

聖隷の事業は、1930年、重い結核を患い住むところも無く食べることもできなくなった一人の青年を、長谷川保をはじめとした数名の若きクリスチャンが迎え入れ、生活を共にしたことから始まります。まさしく、聖隷のはじまりには神の愛を忠実に実践した先人の愛があったのでした。

1931年、入野村蜆塚(現浜松市中区蜆塚)の松林に、ベテルホーム(神の家)と名付けた粗末なバラックの療養所を建てました。次第に、身の寄せ場が無く病苦と飢えと社会から迫害を受けた結核患者が集まってくるようになって、ベテルホームは地域住民からの熾烈な迫害を受けます。そのような中にあっても先人は、自らの命と生活のすべてを犠牲にして、患者の療養と命の尊厳を守り抜きました。まさに、聖なる神様の奴隷として「隣人愛」に生きた生き方でした。

1937年、社会運動家の賀川豊彦の主宰するイエスの友会の献金を資金にして、三方原の県有林の払い下げを受け、ここに移転します。迫害を避けるため、聖隷保養農園と改称しました。しかし、行き場を失った結核患者などが全国から次から次へと集まってきて、ここでも住民からの厳しい迫害や襲撃を受けることになります。加えて経済状況は極めて厳しく借金だらけで、その日の食糧の調達することさせ困難な状況に陥ります。

1939年12月24日のクリスマス・イブ、万策尽きた長谷川保はついに園の閉鎖を決断しました。まさにその時、奇跡が起こります。翌25日のクリスマスに県庁に出頭するようにという知らせが届きます。その知らせは、天皇陛下から思いもよらぬ多額の御下賜金が下賜されるというものでした。こうして聖隷保養農園は危機一髪のところで救われ、迫害も収束に向かいます。このクリスマスの奇跡が、聖隷の発展の契機になったのです。 

隣人愛の精神をもって困難を抱えている人に尽くす。社会の必要に、「やらねばならないことはやらねばならない」という強い信念をもってことに当たる。そこに幸運を引き寄せ、奇跡が生まれるということでしょう。

2022年11月30日 (水)

感謝祭

聖隷学園には、聖隷クリストファー大学附属クリストファーこども園があります。

11月10日(木)、その園児さんが収穫感謝の礼拝を執り行い、その感謝の気持ちをわかち合うため大学を訪ねてくれました。恒例の感謝祭の行事です。ご家庭から、りんご、みかん、かきなどの秋の恵みを持ち寄って、持ってきてくれました。喜びと感謝の気持ちで、心のあたたまるひと時でした。子どもたちはきっと、思いやりと感謝の心をもった、心のひろいあたたかい人に成長されるでしょう。

 

メッセージカードが添えられていました。園児さんが描いたぶどうとみかんの挿絵とともに、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」(テサロニケの信徒への手紙Ⅰ 5章16‐18節)という聖書の言葉が書いてあります。それは今、私のデスクマットにあって、子どもたちからの学びとしています。

 

感謝祭の由来は、今からおよそ400年前、キリスト教徒のイギリス人100名余りがメイフラワー号に乗って、新天地アメリカ大陸を目指し旅立ちました。11月にやっとアメリカ大陸にたどり着き(現在のマサチューセッツ州ケープコッド湾)、土地を切り開いて、家や教会を建て、畑を耕しましたが、慣れない農耕作業で大変厳しい生活でした。冬が訪れ、食料が底をつきました。ある日のこと、ワンパノアグ族インディアンが訪ねてきました。インディアンは、ジャガイモやトウモロコシ、小麦粉を分け与え、農耕作業をたすけてくれました。インディアンのたすけがなければ、全滅していたでしょう。そのおかげで、寒い冬を過ごすことができ、やがて春が訪れ、そして秋には豊かな作物が実りました。その収穫した作物を教会に持ち寄って、土地がもたらす多くの恵みとインディアンに対する感謝の祭事をともに捧げました。それが感謝祭の始まりということです。はじめに愛があった、ということでしょう。

 

これから厳しい冬を迎えます。感謝祭の祈りが、厳しい生活を強いられている方々に届けられますように。

 

こども園の皆さん、ありがとうございました。