介護福祉学科教員の野田です。
この春休みに仙台若林区荒浜地区に学生さんと共にボランティアに行ってきました。
那須を超えた辺りからSAにもこのような表示が多く見受けられました。
また所々、感謝の思いがこもったメッセージが行く先々に施されたいました。
被災者支援センターにコーディネートをお願いしての参加でした。
フィールドワーク場所までの移動は発災直後から電動自転車を利用。
多くは台湾の教会からの寄付を受けたと伺いました。
ワークに入る前に被災をされた方の気持ちを考えて現地では移動中も写真撮影をしないでくださいとオリエンテーションを受け参加しましたので、この「かぶ」はお土産に頂いたものを戻ってきてから撮影を行いました。
学生さんとはグループを分かれてワークを行いました。
私が行ったワークは二期作に向けての農地の再生作業でした。
地元の高校生・滋賀から参加された方々・支援センターのスタッフの方々と
被災者の方との作業の中で、確かにまだまだ復興の手が届いていないと実感しました。
「一人で(農作業を)やっていると気が滅入るから、誰かがおってくれないと辛い」と
ポツリと呟かれる瞬間や、お茶をすすりながら、津波の恐怖を話される瞬間に涙を禁じ得ない状況が続きました。
個人的には数回目の被災地ボランティアでしたが、やはり細々ながらも継続的な活動を続けなくてはいけないと思いました。
うまくまとまりませんが、自ら活動すると共に発信する活動にも力を入れたいと思っています。
臨床介護福祉学科3年生の垣原仰太です。
往復の道中は青春18切符を利用しての移動でしたので、
今回、行った泊浜はこの時期、
震災から3年たったので「
この思いは、介護の現場でも、利用者さんに「
4月1日付で社会福祉学部介護福祉学科に着任しました、古川和稔です。ずっと憧れていた聖隷クリストファー大学の一員になることができ、大変光栄に思っております。初心を忘れずに一生懸命頑張っていきますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。
本学に着任するまでは、栃木県宇都宮市にある宇都宮短期大学で教員をしておりました。宇都宮市といてば、餃子の街です!浜松市民はあまり気にしていないようですが、宇都宮市民は「餃子消費量日本一」を大変誇りに思っていて、私が「浜松市に転居する」と話すと、「餃子のライバルじゃないか!」とずいぶん叱られました。
教員になるまでは、介護福祉士として高齢者福祉施設に勤務し、その後理学療法士となり、訪問リハビリテーションに従事しておりました。介護福祉士、理学療法士、社会福祉士、介護支援専門員の資格を有しております。趣味で作った個人ホームページもございますので、詳しくはそちらをご覧ください。⇒ furukawa-2010.com/
「人生は一度きり!すべっても一生懸命」をモットーに、全力投球していきたいと思いますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。