« Tender Loving Care | メイン | 平和を願う祈り »

2023年7月31日 (月)

春セメスターの終わりに

梅雨明けから、体温を超えるような酷暑が続いています。大学では学生の皆さんが、この暑さに負けず、春セメスターの修了を控え、学生ホールや演習室でまとめの学修に精を出しています。その姿に、成長と頼もしさを覚えます。

春セメスターの礼拝も最終を迎えました。宗教主任の永井英司先生が「身を起こす青年サウロ」という題で、使徒言行録9章の「サウロ(パウロ)の回心」のお話しをされました。

ユダヤ教徒であったサウロは、誤った正義感や自意識から、キリスト教徒を捕まえ迫害を加え殺害さえしていました。ある日突然、まばゆい光が天からサウロを照らし、その輝きでサウロは目が見えなくなってしまいます。健康を失い挫折したサウロのもとに、イエスの遣いのアナニアが訪れ、福音を告げます。するとサウロの目から、うろこのようなものが落ち、目が見えるようになります。そして回心し、180度生き方を転換して宣教の旅に出るというものです。

“うろこのようなもの”は、英語で“something like scales fell from Saul’s eyes”というそうです。このScaleには、規模(スケール)・定規(物差し)・計り・尺度・基準・地位、そして鱗(うろこ)など多くの意味があります。サウロの目から落ちたうろこのようなものとは、それまで身についた物事のみかたや考え方、価値観、プライド、おごりではなかったでしょうか。そのようなうろこが、本来のサウロの力(あるべき姿)を覆っていたのでしょう。

この春セメスター、学生の皆さんはどのように成長されたでしょう。目からうろこのようなものが落ちる学びや経験をされたかもしれません。それは困難を伴うものではなかったでしょうか。しかしそのことが、新しい自分との出会い、自分の本来あるべき姿や才能(Talent)の発見、自分に与えられた使命の気づきにつながるのではないかと思います。

苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む(ローマの信徒への手紙5章4節)