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2018年9月28日 (金)

今流れつつある時間を大切に生きる

日々の仕事に追われ、我々は何者であるかを見失いがちになります。毎月の大学部長会及び教授会で、その時々に応じた聖句が宗教主任の先生から教員に送らます。建学の精神を再確認し共有する良い機会となります。今月9月の聖句は、フィリピの信徒への手紙 3章13節(目標を目指して)でした。

 「なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、・・・目標を目指してひたすら走ることです。」

夏休みが明け、秋セメスターの始まりにおいて、学生を迎える時期に相応しい聖句です。時間には物理的時間と心理的時間があります。物理的時間は、いわゆる時計の時間で、それは1分1時間と量的に皆に共通です。一方、心理的時間は、その時々の時間を一人ひとりがどのように過ごすかによって変わってくる質的な時間です。哲学者ベルクソンは、心理的時間を「流れつつある時間」と表現しました。今この時の流れつつある時間を大切に生きることが、それぞれの人生を豊かにすることを表わしているのでしょう。私たちには自由意志があります。今のこの時間をどのように過ごすか、その選択が委ねられているのも人間の素晴らしさです。

もう一つ、この聖句がパウロによる書簡であることから読むことができます。パウロは、はじめは熱心なユダヤ教徒で、キリスト教徒を激しく迫害をもしていましたが、イエスに出会いキリスト教徒に回心した人物です。この聖句の「・・・後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、・・・」には、過去の自分に決別し新しい生き方をするという意味が込められているようです。同様に、パウロによる書簡であるコロサイの信徒への手紙(3章9節)には、「古い人をその行いと共に脱ぎ捨て、造り主の姿に倣う新しい人を身に付け、日々新たにされて、真の知識に達するのです。」とあります。今、この流れつつある時間を生きること、過去にとらわれない新たな生き方をすることは、新しい人へ成長することでもあります。

秋セメスターの始まりにあたって、学生皆さんが、今流れつつある時間を大切にし、日々新たに成長されることを願います。